(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)
東京大学マンドリンクラブ。このクラブの発起人は丸山悟史さん。彼が1年生であった2006年、かつて存在したかもしれない同名クラブとは無縁の中で全く新しく発足し、2009年12月、晴れて第一回定期演奏会を行なった。2009年まで代表を務めた渡辺拓人さん(3期)ともどもクラブ設立から運営してきて、今ひと区切り。丸山さんは卒業、渡辺さんも代表を新4期生の結城さんにバトンタッチ。渡辺さんはサポート役にまわる。始まったばかりの歴史。クラブ誕生へのエピソードと、これからへの展望、そしてなによりもマンドリンに対する2人の想いを聞いた。
(聞き手:ギターの時間 編集長 江部一孝)
マンドリンとの出会い
ーーお2人はいつからマンドリンを弾いているのですか?丸山:高校1年の時に母校(群馬県立前橋高校)のギター・マンドリン部に入部し、マンドリンを始めました。それまでは音楽の授業程度の経験しかなく、譜面もドレミを書き込んでからでないと弾けませんでした。先輩から演奏姿勢などの簡単な技術指導を受けましたが、講師から本格的な指導を受けた経験はありません。
その後、楽器の音色とサイズに惹かれて、高校2年になる時にマンドラへ移りました。
ーーほぼ独学ということですか?
丸山:そうですね。当時のマンドラ・パートには3年の先輩が不在で完全に独学で練習しました。楽器は学校から貸与される共用楽器、教則本はオデル-1を使用していました。
大学でサークルを立ち上げてからはずっとマンドラを弾いています。
大学では、このサークルを立ち上げる前に「民族音楽愛好会」と「古典ギター愛好会」に入り、両サークルでクラシック・ギターを弾いていました。マンドラに比べればはるかに及びませんが。
大学では普段、音楽はそれほど聴きません。好んで聴くのはマンドリンの音楽くらいです。特にサークルでも多く演奏している青山忠アンサンブルを聴くことが非常に多いです。
渡辺:僕も丸山先輩と同じで、前橋高校のギター・マンドリン部に入部したときからです。
所属していたのは高校の楽団ぐらいです。あまり真面目な楽団ではありませんでした。規模は最大時で30人ぐらいと、中規模な楽団でした。当時はコンマスを務めてました。
曲としては・・・県のコンクールでは「水車小屋の娘たち」や「序曲レナータ」といったマンドリン・オリジナルを弾いたりしてましたが、演奏会ではジャンル問わずなんでも弾いてました。
ーー前橋といえばマンドリンの街。お2人ともそこの出身だったんですね? 先生についたりは?
渡辺:それも丸山先輩と同様、殆ど独学です。高校のとき先輩にアドバイスをもらい、また多少はオデルとか読みました。オデルの第1部、第2部、「図で解る正しいマンドリンの弾き方」などですね。特に「図で解る・・・」は、イラストなど参考にしました。でも基本は実際の演奏で学んでいきつつ、クロスピッキングや滑走アルペジオなど、テクニカルなものはひたすらメトロノームとにらみ合いをしつつ、というスタイルで、結果として基礎はひどいものです。今になって後悔することもありますね。
ただ、県で年に一度、高校生をプロが教えるワークショップみたいなものがあり、桝川千明さんなどに教えていただいたこともあります。
ーー今使っている楽器の製作家、年代について教えてください。だいたいいくらくらいのものですか?
渡辺:僕の楽器は渡邉精次氏の2009年製です。30万円ほどのものです。銘柄だけで7、8種、台数で20本ほど弾いて、なんとなく気に入った楽器を購入しました。 やっぱり、学生にとっては高いですね。マンドリンは、ギターやバイオリンに比べても、10万以下で買える楽器の種類が少ないのが苦しいです。
ただ、楽器自体はとても気に入っている、もしかしたら一生付き合うかもしれないものなので、納得はしています。
丸山:私のは落合マンドラ(約24万円)です。この楽器を買う前はスズキマンドラ(約6万円)を使用していました。
ーーほかの音楽は聴きますか?
渡辺:普段はあまり音楽を聴かないのです。 昔はビジュアル系の、エレキギターの歪んだ音も好きだったり、ゲーム音楽のピアノアレンジに魅了され、楽譜を買って挑戦したりしました。だから、少々ならばピアノも弾けます。
最近はマリオネットやプラネット・スピリタとか、聴く音楽すらマンドリンに偏りつつあります。
(続きます)