点と線の舞。柴田高明マンドリンリサイタル

s01 春恒例となった柴田高明のマンドリンリサイタルが東京は2013年3月3日、ルーテル市ヶ谷センターで行われた。(撮影:かえるカメラ)。
 今回は「~マンドリンの為の室内楽作品・点と線の芸術~」と題し、2月24日(日)京都・青山音楽記念館バロックザールでも行われた。

 共演は、三戸素子(ヴァイオリン)、河野理恵子(ヴィオラ)、小澤洋介(ヴィオロンチェロ)。プログラムは、レオーネ、ホフマン、桑原康雄、そして西澤健一による初演作品「マンドリンと弦楽三重奏の為のコンチェルティーノ」を加えた構成。「点と線」とは、言うまでもなくヴァイオリン属の弓による撥弦とマンドリンのピッキングによる撥弦法を例えたものだろう。もうひとつ、「今」この時、という点と、連綿と続く「歴史」を“線”になぞらえているかもしれない。
 実際、どの作品も、じつは和声感の新旧というか、基本的なことと応用的なことと言った意味合いの「スタイルの違い」という点を除くと、マンドリンを含む音楽としてすごく一貫したイメージが残った。これがとても興味深いコンサートだった。

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 楽器の音色には、その音色自体が音楽の性格を左右する場合があると思う。ここでいう「性格」とは「時代を感じさせるもの」くらいの意味。「時代を感じさせる音」と「時代を超越する音」。ワクをはみ出して「時代を超越する音」で「音楽」を聴かせるのは演奏者の腕というか感性次第だと思うが、なかなか難しい。これは個人的な感想だ、という前提だが、ヴァイオリンやチェロの持つ性格は、どちらかと言えば古典の匂いがする。どんなに前衛音楽を演奏しても。新しさを感じるのはエレキギターや電子音。時代を超越しやすいのはピアノ。そして案外クラシック・ギター。もう少し正確にいうとエレキギターだって、1980年代位までの音楽/時代を連想させる。またピコピコの電子音も、YMOの70年代風と今のパフューム/キャリーぱみゅぱみゅ風とあって、厳密さを求めるときりがない。と、同時にそうしたことの使い分けが、音楽を面白くするのだが。
 一方、レパートリーとの関連性も重要だ。作曲家の理解、と言い換えてもいいかもしれない。ともかく、そんな耳で聴くと、マンドリンは新旧どちらにも帰属できる珍しい楽器のひとつではないかと思う。いや、そういうふうにこの楽器の性格を具体的に見せて聴かせてくれる演奏家のひとりが柴田高明であるということだと思う。

 18世紀末ウィーンの香りが匂い立つホフマン(1770-1814)の四重奏、チェロとの二重奏によるレオーネ(1725頃-1790以降)。そして再び四重奏で桑原康雄(1946-2003)作品を配して第1部は古今を対比した。桑原作品の「冬のエレジー」は、そのタイトルからは連想しにくいが、一言で言えば難解な音階による現代作品だが、その響きに慣れると深くしかし熱い詩情さえ感じさせる。
 第2部でも、最初にホフマンをヴァイオリンとのデュオで聴かせ、最後に四重奏による西澤健一(1978-)の現代作品を配し、作品によって響きを対比させた。ところで、四重奏による2つの現代作品は、ともに一台のマンドリンと弦楽トリオという対比をひとつのテーマにしていて、これも面白く聴いた。テーマとして、未知の広がりを感じさせるとともに、マンドリンのクラシカル楽器としてのポテンシャルもまた、未知数なのだと確信させる新しい世界だと思う。
 あるときは格闘し、あるときは調和しながら、点と線により創り出される音楽というスペクタクル。もっともっとクラシカル楽器とともに舞う音の造形を聴かせてほしい。
s18 ▲中央、西澤健一氏
【プログラム】
マンドリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオロンチェロのための四重奏曲 ヘ長調  ジョヴァンニ・ホフマン
ソナタ第3番作品2(マンドリンとヴィオロンチェロ) ガブリエレ・レオーネ
冬のエレジー(マンドリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、ヴィオロンチェロ)  桑原康雄

マンドリンとヴァイオリンのための二重奏曲 ニ長調  ジョヴァンニ・ホフマン
マンドリンと弦楽三重奏の為のコンチェルティーノ(委嘱初演)  西澤健一

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