11月27日 東京・渋谷Hakuju Hall/後援:スペイン大使館、チュニジア共和国大使館、日本アジアギター教育協会
コロナ禍で2年間休止されていた公演が、恒例ツアーとして復活し11月東京・渋谷のHakuju Hallで締め括られた。
2020年の暮れ、全ての公演中止を余儀なくされていた頃、岩永さんからコメントをいただいた。公演の予定がなくなるということは、日々の音楽ライフにどんな影響があるのか? 素朴な疑問から発した問いにいただいた内容は次のようなものだった。
「勿論、聴いてくださる方に音楽を通して何かを届けるというのは大事な目標ですが、普段の練習を通して自分の思う様な音楽に近づける作業というのは変わらないので、コンサートがなくてもモチベーションが下がるという感じはあまりありません。 このところ、コンサートに追われて編曲をしている事が多かったので、むしろこの機会を利用して、やりたいと思っていた編曲を進めているところです。それと演奏に関しても、一から洗い直して自分の求める音楽に対して必要な事柄を見極めて、さらに自由に表現出来るための練習をしているので、こういう期間はむしろありがたいと思っています。」(2020年エントリー記事で既報)
あれから2年。その成果が披露されたプログラムでありステージが繰り広げられた。
【プログラム】
泣くがままにさせて、オン・ブラ・マイフ(G.F.ヘンデル)
チェロ組曲第1番BWV1007(J.S.バッハ)
みなしご子、エピローグ、スペイン舞曲第3番、ゴヤの美女(E.グラナドス)
ブエノスアイレス午前零時、ブエノスアイレスの春(A.ピアソラ)
タイスの瞑想曲(J.マスネ)
組曲第1番op.131c全楽章(M.レーガー)
アンコール
詩的ワルツ集から「第6ワルツ」(E.グラナドス)、「ミュゼット」(J.S.バッハ)、「帰れソレントへ」(E.クルティス)
ヘンデルのオペラからの2曲はアリア。プログラム解説によれば「近年になりようやく、死後忘れられていた50曲の蘇演が進められつつある」中からのもので、「泣くがままにさせて」は、歌劇『リナルド』から。たしかにオペラ自体は長らく音楽史の中で埋もれていた感もあるが、歌曲としては次の「オン・ブラ・マイフ」のポピュラーさに匹敵するナンバーだと思う。全音や音楽の友社のイタリア歌曲集にフィーチャーされたりもして、知る人ぞ知る名曲であり続けているし、テレビドラマ「牡丹と薔薇」(主演:大河内奈々子)のテーマとして岡本知高が「涙のアリア」のタイトルで歌った。そのほか、NHK連続小説『ちゅらさん』の挿入歌としても知られているという。ちなみに筆者は、これらの起用例を迂闊にも知らなかったが。
何より、そもそもヘンデル自身がこの作品をとても気に入っており、自作オペラのなかで3回使っており、その3回目が最も成功したのだそうだ。
原曲の調性はFメジャーだと思うがギターらしさの際立つDメジャーにトランスクプリプションされ何か神聖さも醸し出す。次の「オン・ブラ・マイフ」と併せ、久々のギター生演奏。岩永さん、はやる気持ちを落ち着かせるように奏で始める。おおらかにやさしく。そして悲しみを湛えながら強い決意を秘めた旋律が、未来へ続く希望の光のように響く。ギター音楽が好きでよかった、この公演に足を運んでよかった、と、早くも大きくうなづく。
ギターによるバッハは、個人的には実は苦手だ。バッハに聞こえないと思えてしまうことが多いからだ。これはバッハへの身勝手な理想像のせいでもあろう。それは重々承知はしているが、この作品は何よりチェロの印象が鮮烈だからやむを得ない。端的にチェロの音像バランスと6弦ギターでは、違いすぎて自分にとっては別の曲になってしまうのだ。それがどうしても作曲家の表面を撫でているように聞こえて、納得感が足りないというか。
ところが岩永さんのバッハは、聞き入ってしまう。「チェロ組曲第1番」は〈アルマンド〉〈クーラント〉〈サラバンド〉〈メヌエット〉〈ジーグ〉というそれぞれ異なる世界が、チェロによる世界とは異なりながらも岩永さんの手元から”バッハが聞こえてくる”。”バッハが溢れてくる”。これはとても大事なことだと思う。腕組みしながら、うーん、と唸る。バッハを前にして悔恨と反省と、そして何か、奮い立たせようとするうちなる力とで、訳もなく「決意」したような敬虔な気持ちになる。なんと勝手な聞き方だ!と笑ってください。
第一部後半は、グラナドス。ピアノ曲の小品が組曲のように演奏された。どの曲もピアノ演奏以上に華やいで聴こえる。岩永マジックと自分の中では呼んでいる。10弦ギターの効果、ギターの開放弦の特徴を知り尽くした岩永さんならではの演奏だ。
第二部「ブエノスアイレス午前零時」「ブエノスアイレスの春」は、近年のクラシックギターに欠かせないレパートリーといえる。6弦ギターでも、ピアソラのエッセンスはほのかに感じ取れることも多い。旋律=いのち! という部分もあるから。しかしこれも、すみません、個人的”嗜好”として「ピアソラバンドを感じさせない演奏は、いらない」のです。が、岩永さんの演奏は、これも最もかんたんに(?)クリアして、ブエノスアイレスの雑踏も含む熱い空気を描き出してくれる。
「タイスの瞑想曲」は、ロマン派ギタリスト(筆者命名)岩永善信ならではの選曲と演奏。左手のハンド・ヴィブラートが19世紀末の欧州の空気を会場に呼び込んでいるように錯覚させる。
プログラム最後は、20世紀の作曲家マックス・レーガーの「無伴奏チェロ組曲第1番」。プレリュード、アダージョ、フーガからなる。レーガーはラフマニノフと同時代を生きたドイツの作曲家。演奏会ピアニストとしての活動に加えミュンヘン王立音楽院の作曲科教授、ライプツィヒ音楽院の教授も勤めているほか、マイニンゲン宮廷楽団の宮廷楽長という経歴も持つ。門下生にクリーブランド管弦楽団の常任指揮者として有名なジョージ・セルがいる。
レーガーの1歳下にシェーンベルク(1874生)がおり、その翌年ラヴェルが生まれ(1875生)、8歳下にストラビンスキー(1881生)、9歳下にバルトーク(1882生)。そういう時代の空気と音楽の中に生きながら、本人は「ベートーヴェン、ブラームスの系統に位置することを自認していた」らしい。そして、その作品は「オペラと交響曲を除いて全てのジャンルを網羅」しており、多くは「晦渋な作風」と言われているらしいのだが、この作品は、旋律が明快で各楽章とも親しみやすい。今の時代ストラビンスキーもシェーンベルクもバルトークも「前衛」とは言われないが、無調を知る直前のギリギリで成立しているようなこの音の世界は、とても好きだ。絵画で言えばキュビズムの入り口のような、アンバランス感覚が入り込んだセザンヌの世界のような。
アンコールは詩的ワルツ集から「第6ワルツ」(E.グラナドス)、「ミュゼット」(J.S.バッハ)、「帰れソレントへ」(E.クルティス)。フルコースを堪能した耳へ、デザートとしてストレートに聴こえる編曲、短い小品を贈られて、満足して帰途についた。次回が待ち遠しい。