マンドリン合奏の楽しさ、難しさ、そして素晴らしさを追求すれば
だれでも行き着く原点。その原点に気づき意識的になること、
いわば、それがクボタメソッドのようです。
そして、これはフィロマンドリーネン・オルケスターを率いる
リーダー久保田さんの、指揮者としての経験、訓練が生み出したもの
とも言えそうです。
久保田さんの指揮者への道を伺います。


○●○  ところで、久保田先生は
指揮をいつからやっていらっしゃるんですか?

久保田  僕は、もともとなんでもやりたがりのところが
あるんですね(笑)。
マンドリンを弾き始めたら作曲もやりたい
指揮もやりたい、先輩のまねをして
編曲もやり始めたし。
ようするに先輩のを見て聴いて
「自分だったらこうやるのにな」
というのがあって。
で、高校2年生のときに
そのときの3年生の指揮者に、「やらせてください」
って申し出たんですよ。。
○●○   なるほど。
久保田 頼み込んで初めて指揮したとき、
それまでの先輩のハデな振り方とは違って
地味に。
転調のところでは「そこは重要な音だから
セカンドはしっかり弾いてください」
っていう必要な指示は、
声を出して解説しながらわかりやすく。

○●○   ふむふむ。
久保田 よくできたと、自分でも思ったんですよ。
で、「ありがとうございました」と指揮棒を返した。
そしたら「これからはおまえやれ!」と言われて(笑)。

○●○   やりましたね!

久保田 ふふふ。そこから第1回の演奏会を
記念館講堂でやりました。
3年のときはもっと大勢の人に聴いてもらいたい、
と思い、
校長先生に談判して
虎ノ門の久保講堂でやらしてもらったんです。

○●○ すごいですね!

久保田 そのときは慶応高校と
早稲田のマンドリンオーケストラにも
来てもらい、2曲ずつ演奏してもらったんです。
お客さんもたくさん来てくださいましたねぇ。
学生時代の久保田孝さん (当時の久保田さん)
○●○   そうですか。
久保田 うちの親戚なんかも
「なんか孝は好きなことやり放題やってるようだ」
と、あまりいい印象は
持っていなかったらしいんですが、
このコンサートを聴いたら「ちゃんとやってる!」と
評価が変わりましたよ(笑)。
○●○   ほう。
久保田 それがそのまま、今も続いているんですよ(笑)。。

○●○   留学前に本格的に習い始めたのは、
どんなきっかけでどなたに?

久保田 高校の頃からですね。三石精一さんにつきました。
その前に、じつは芸能界にいた先輩から
「マンドリンを弾く役が必要だ」
って言われたときにトラで行ったり。
あと、新橋にい夜来香(イエライシャン)
という喫茶店があったんですが
そこに出ていたこともあります。
そこはエレベーターがあって
そのエレベータがステージなんですよ。
各階あがっていきながら演奏するという(笑)。
“小山四雄と東京マンドリーノ”が
そこでやっていて、
そのマンドラのエキストラで入ったり。

○●○   そういうキャリアもあるんですね?

久保田 そこでは歌本ではなく、パート譜のアルバムが3冊あって、
どの中のどの曲を演奏することになるかわからない。
ステージに上がって「Bの105!」とか言われて
初見で演奏したり。
そういうこともしていたんですよ(笑)。

○●○   ほとんどジャズの世界みたいですね?

久保田 そういう機会がいろいろあったんです。
大学を卒業してから、3年目にドイツ留学を果たしました。
それまでの間、スタジオ・プレイヤーとして、
多くのレコード会社のスタジオに出入りしていました。

○●○ どんなレコード会社ですか?

久保田 その頃はコロムビアが主でした。
マンドリンが必要、となると
僕のところに電話がかかってくるようになりました。
で、2人必要だ、というときはだれか誘って行き、
4人と言われれば3人連れて行く。

○●○   へえ…。

久保田 コロムビアがメインで、
あとキングレコード、テイチク…。
たまにクラウンレコード、と。
高校時代からそんなことが始まっていたんですが、
あるときこれも高校時代ですが
バイオリンの高 珠恵さんという方が
スタジオで演奏するとき、
「勉強になるから来なさいよ」
とお誘いを受けた。
でも授業がある。
先生に話したら「いい」と許可が出て、
制服を着たまま行ったこともありました。

○●○ へえ…。するとクレジットされて、
あるいはされていなくても
久保田先生のマンドリンがフィーチャーされて
世に出たレコードがかなりあるんですね?
(▼クリックすると拡大します)
魅惑のマンドリン 同ジャケット裏 同ジャケット裏 哀愁によせて 同ジャケット裏
久保田 そうですね。あの…NHKの朝ドラの初期に
「おはなはん」というのがありました。
あれの一場面で、主人公の樫山文枝さんが恋人と
ロシア料理店へ食事に行くシーンがありました。
そのシーンで、僕、演奏していました。

○●○ あ! じゃ僕も見てますよ、きっと。
その頃学校行く前にギリギリ見てましたから(笑)。
久保田 …、とか、いろいろやっていたんですよ。
で、スタジオに出入りしているとき、そこにいた
芸大出身のコントラバスの人が、
「え?指揮をやりたいの?
だったら、せいチャンを紹介してやるよ」
と言ってくださったんですね。
それが三石精一先生だったんです。

(続きます。)

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2009-02-23

ギターの時間