1.ふたつの意見をハイブリッド!

――久保田さんは今、東京大学大学院の総合文化研究科といところにいらっしゃるんですね? どんなことを研究するんですか?

久保田:この学科は文系理系両方あるんですが、今私がいるところは表象文化論というところで、 音楽では私の指導教官なんですが岩佐鉄男さんというジョンケージ研究をされている方とか、 長木誠司さんという、よくオペラの批評をやっていらっしゃる方が教えている学科なんです。
 基本的には文学・思想・映画・建築などを研究している人がほとんどで、音楽専攻は少数派です。

――表象文化論ですか? 具体的にはどんなことを研究するんでしょう?

久保田:よく、「大学院では作曲をするのか?」と聞かれるんですが、そうではなくて研究とそれに伴う論文執筆が中心なんです。ただ、従来の文学部美学科のようなところとは雰囲気が違うようです。
 美学科では、従来的な音楽美学とかを基盤にした研究が強いのではないかと思います。卒業論文の題目などを見ると、20世紀以前の作品や作曲家を対象として扱ったものが多いかもしれません。表象文化論というところは、制作のまさにその場に切り込むような研究が多く、その意味でも近現代を研究対象としている人が多いように思います。
 あと、サブカルチャーも対象にしたりする人もいるなど、従来の捉え方では押さえ切れなかった範囲をカバーして研究しています。

――というと、かなり世俗的なものも含まれる、と?

久保田:そうですね。主流ではありませんが、そういう人もいます。現代音楽をやっている人もいます。

――概略聞いただけではなかなか具体的な研究内容は難しそうですが、こないだの演奏会は、その久保田さんの研究の一環ととらえるにはムリがあるかもしれませんが、ハズれているわけでもなさそうですね?

久保田:そうですね。  研究と実作は互いに関連しあっていて、私にとっては両方行うことが、自分の音楽を深めるためには大切です。
 ただ先日の演奏会は研究とは直接にはほとんど関連がないと思いますね。今回のような演奏会の場合は、聴きに来てくださる方のことをまず考えていますから。私の研究は、聴き手のことではなしに、対象となる作品そのものの“作り”だとか時代背景だとかを考えるが主眼にあるので。
 ただ、その両方とも行うことが私は好きですし、長い目で見ると関連してくるところもあるのかもしれません。

――ああ、そういうことですね。では、こないだの公演のプログラムに沿った話題に入っていきたいんですが。

久保田:はい。

――演奏会ではバロック作品をマンドリンにアレンジしていました。その聴こえ方がとてもフレッシュに感じたんですが。
 あれは、古典演奏のルールを検証したりしてのものだったんですか?

久保田:いえ、そうではないんです。そもそも望月さんとは高校の同級生を介して最近知り合って、「なにかやろうよ」となったときに、候補曲とかやりたいことを話し合ったんですが、そのとき出た話は、「マンドリンはじつはなんでもできる」「いろんな音楽をやれちゃう」ということでした。
 それは、たしかにわたしも強く思えたんですが、それだけではひとつのプログラムを組めないな、と思ったんです。それでどうしようか、と。
 そしたら望月さんは外からの視点を強く求めていたんですよ。どうしてもマンドリン界は内輪だけの感じになってしまいがちなのを、彼としては打破したいところだったらしいんです。
 一方、私としては金子みすゞの詩で作った私の歌曲作品をやりたい、というのも前提にあったので、その2つを核に据えてわたしのほうで組んでみたんです。
 私の視点から見たマンドリンということです。
 それで次に、「実際にはどうしたらいいのか?」と考えたわけです。

久保田翠KubotaMidori
 で、古典音楽は私はとくに専門的に勉強したというわけではないんです。
 たとえば装飾音符とか対旋律の考え方を徹底して古楽に則ってやったとか、 理論的根拠があってアレンジしたというわけではないんです。実際には、楽譜をみんなで見て演奏しながら、足りない部分をやりすぎない程度に補う、というかたちで編曲させていただいたんです。
 ただ、原曲を活かす、ということと、「たぶん即興が利く演奏者だったらこんなふうにやるだろうな」というふうなイメージは加えました。
 あと自分はピアノやオルガンの演奏もしていて、特にバロックものが好きなので、自分が演奏者だったらこう弾きたい、という気持ちも込めています。
 そういうかんじでアレンジしていって、モンテベルディの作品にしてもオリジナルを活かして、パートに割り振っていって、声部の補足や整理はしていきました。もうすべて現場でサクサクってやっていったかんじです。

――でもイメージとしては、楽器も含め、時代考証を研究した上でなるべくその当時と同じ演奏をするという古楽演奏の正統派の音楽スタイルが頭の中にあったのでは?

久保田:今回に関しては、ないです。
 それと自分は作曲をする立場なので、はっきりいって自分の中にそういう方向はないんです。
「なにが正しい」というのは基本的にはないと思っているので。

――それはどういうことですか?

久保田:たとえば今回は作曲当時の文献が書き残されていた作品なんですが、
だからといって、その当時の楽器も揃えたとして、しかし、その上で演奏されたものが、
その作品にとって最上のものかどうか、は、別だと思うからなんです。
忠実にやったから「正しい」ということではないと思うんです。
いろんな意味で違いというのはあちこちに出てくると思うので。
だからそういったことはあまり考えないでやっていますね。

――今回対象楽器がマンドリンだったから、ということではなく、楽器を越えた話ですね。

久保田:そうです。もちろん自分なりに詰めて勉強していきたいという気持ちもありますけど。

(続きます)

久保田翠KubotaMidori
※久保田さんのホームページはこちら→ 久保田翠ブログ。興味の赴くまま、万華鏡のように話題がまたたいています。