メトロポリタン・マンドリン・オーケストラ第21回演奏会を昨年に続き今回も、リハーサルから本番にかけて取材した。
本番のコンサートは、彼らでしか実現できていないと思わせるマンドリン・オーケストラの新しいきらめきにあふれていた。そのサウンドが完成していく様子を動画で収録、片鱗でもなんとか、紹介したいと思い、いまも編集中である。が、それらをもってしてもどこまで伝えられるか? というわけで、その公開を前に、写真レポートともに本番前日収録したメンバーの声を紹介する。このオケが目指すこと、そして今回のプログラム構成にいたったいきさつは、そのまま見事に本番で響いたのだから。
応じてくれたのは編曲を担当しこのオーケストラの音楽監督的立場にある笹崎譲氏、指揮の小出雄聖氏、団員でありコンサートマスターでもある佐藤洋志氏。(写真:kaeruカメラ)
−−クラシック作品をマンドリンオーケストラで演奏し、またそれを鑑賞する意義というのはどういうところにあるんでしょうか? つまり、今回のプログラム、ラヴェル、ドビュッシー、シベリウスを含むプログラムを広くクラシック音楽ファンにもアピールするとしたら、そのポイントはどういうところですか?
小出:この曲はもともとオケの曲なのに、なぜわざわざマンドリン版でなければならないのか?ということですよね? これは聴く方の中に固定観念があるとあきらかにじゃまなんですよね。
笹崎:そうですね。編曲されたことを忘れて聴いていただきたいですね。
わざわざマンドリンオーケストラ版で、という話ですが、それにはまず選曲方法の話をしておきたいと思います。ふつう、選曲の動機というと、好きな曲だからやってみたいとか弾ける曲だからやってみたい、ということが先にくるケースが多いと思うんです。僕らも好きな曲はたくさんある。その中からかなり厳選するんですね。それはマンドリン・オーケストラという新しい媒体を通すと、つまりフォーマットが異なると、その曲の新しい側面が浮き彫りになる。その曲の別の魅力を引き出せる可能性があって、そこにぼくは期待するんです。逆に魅力が出にくい曲は、有名だろうが好きだろうが取り上げないと決めています。好きな曲の1/100も取り上げないんじゃないかな。
−−マンドリンという楽器の特性が活きて、なお、あまりあるという以上に輝きというか魅力というか・・・?
笹崎:美術館に行くと、有名な作品をたとえばガラス細工で作ったり、ステンドグラスで表現してみたりというものがありますね。それは本物に対して「ニセモノだ」「お遊びだ」というのは簡単なんですが、そこに新しい美の感覚や表現が現れていることがある。その素材で作ったからこそ現れる、今まで気づかなかった側面ですね。マンドリン・オーケストラというフォーマットでクラシック作品を編曲して演奏することにはその面白さと同質の可能性がありますね。
では、なんでもかんでも有名な作品をガラス細工にすればいいかというとそうではなくて、ガラス細工で作ると「こんな側面があったんだ!」と浮き彫りになるものでなければ面白くない。
同様に音楽でも、マンドリンで演奏することによって全く新しい側面が浮き出てくるものとそれほど効果的でないものとある。その選択にも、難しさと面白さがあって、僕らはそこに挑戦している、といえばいいのかな。
〈つづく〉
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