ギターの時間、2009年11月27日号
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木下征紀&久保田

 個人的に、今年(2009年)はマンドリンにとって、大きな節目ではないか? 年頭からずっと思っていた。「ギターの時間」を立ち上げ、マンドリンに接近して2年目。当サイトで取り上げることができたイベントはごくわずかだが、そんな思いが確信になる中、行なわれたのが、この合同演奏会だった。
 かねてより交流のあった久保田孝氏と木下正紀氏。木下氏率いるエルマノ マンドリン オーケストラが、2006年ドイツ演奏旅行を行なった折、久保田氏が同行した。このときの会話をきっかけに、この合同演奏会は、企画された。より広く演奏の場を求める両団員のオープンなスタンスが共通したことも実現の動機になった。マンドリンオーケストラの企画としてはお祭りイベント、記念イベントとも違う、2009年という重要な節目のイベントとなった。開演1時間前の慌ただしい時間の中、最後のリハーサルを終えたお二人を楽屋に訪ねた。

(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)

Sony Style(ソニースタイル)

 ところで、インタビュアーは、かつてオケの個性、音の違いについて考えたことがあった。そして同一曲をフルトベングラーやトスカニーニ、ワルターなど旧世代のオーケストラのSP復刻盤から、独、英、蘭、伊はじめヨーロッパの著名オケ、米5大オケによる聴きくらべ、などということを延々続けたことがある。それでわかったのは達人の集合体である同一オケでも指揮者の解釈、演奏で、作品の印象はがらりと変わるということ。さらに録音を取り巻く要因、つまりホールや機材でも変わる。クラシック音楽の面白さのひとつはそこにあると思うが、ではオケ固有の個性、固有の音というものはないのか?あるのか?すべては指揮者次第なの?マンドリンオケでは?
 今回の合同演奏、まずはそんなところから伺ってみた。

個性や音は、結果?

ーーマンドリンオーケストラのカラーというのはどんなところから出てくると思いますか?

木下:そうですね、どういえばいいでしょうか・・・私も学生時代からマンドリンをやっていて、思うのはマンドリンというのはピックで弾く。そのピッキングが主体ですね。それが、19世紀の終わりからトレモロという持続音を表現する奏法がでてきた。これによって、変化もついたし、また非常に難しくもなってきましたね。ピッキングだけだったら、相応の表現だったものが、トレモロがはいったゆえに相対的に特殊音も出やすくなってきた。
 久保田先生なんかは、音の立ち上がりからツブを揃えるということを徹底してやってその複雑さをコントロールしていますね。
ーーそういうところで整然とした個性的な音が成立しているということでしょうか?
木下:そうです。なかなかそこまでやってらっしゃるところはありませんし。
 わたしのところも徹底するところまでは、やっていませんが、フレーズの立ち上がりは揃える、というところは意識していますね。
 ただ、そういうことは演奏者の年齢、手首の柔軟さともかかわってくるし、また使っている楽器の特性にも関わって違ってきますね。いちばん重要な要素は、団員の音楽への対し方ではないでしょうか。
 聴こえる音に関して言えば、響きの長いホールで演奏するときは、ピアニッシモを演奏しようとしてもなかなかピアニシモになりませんね。そういうときはむしろ甘い音になりますね。また、ホールで聴いていて固いな、と思っていたモノが録音してみるとすごくよかったりということもありますね。
 というわけで、わたしは、ガリガリのイタリア音楽好きということではないんですけど、マンドリンの奏法、トレモロに合う作品というのがあると思うので、そういうものをやってきたし、今後もつづけていきたい。そういうものを好んでやっていくでしょうね。
ーーそういう姿勢に個性が出るということですかね。久保田先生はどんなところかに、「音の違い」を感じられることはありましたか?
久保田:ぼくがマンドリンでやりたいのは、民族音楽としてのマンドリンよりは、むしろオーケストラ楽器としての室内楽を演奏する楽器としての、独奏楽器としてのマンドリンです。ですから、いちばん気になることは音程であり、音の長さとか。そこがまず、大事だと思うんです。で、やっていくうちに違いが出てくるとおもうけど、それは結果だと思うんです。
ーークラシカルなものにマンドリンで挑戦しているんですね。
久保田:クラシックの偉大な作曲者たちが残した作品を演奏するとき、マンドリンで表現する場合はどう演奏するか?を考えなければいけないですよね。バイオリンオーケストラのマネじゃなくてね。口幅ったい言い方ですが、作曲家がシンフォニーオーケストラ用じゃなくて、マンドリンオーケストラ用に書いたらこうなるんじゃないか、ということをやっているわけです。
ーーそうやって行なわれた演奏会の記憶が重なってできた印象を、クボタフィロの個性というふうに思っているのかもしれませんけど・・・。
久保田:木下先生はイタリア音楽がお好きだし、今回はギリシャの作曲家の作品をやりましたし。
木下:とはいっても演奏してきた作品はそれほど偏っているわけではないんですよ。いい曲は何回、どこでどういうかたちでやってもいいということはあるし。ピアノ作品でもマンドリンオーケストラでやってみたいという作品もあるし。
 一方、今度選曲するマスネの作品などは、作者自ら「この曲はマンドリンに編曲して演奏しなさい」といっていたくらいで、マンドリンに合う部分がたくさんあるんです。また、久保田先生がご自分でお書きになっている作品などは、これはまたもう見事なものですし。というように私自身は、限定せず、いろんな作品を取り上げているんですよ。
 ただ、クボタメソッドまではやれないですけど(笑)。ほんとはやりたいところもあるんですが。
 でも今回ご一緒させていただいてほんとうに、いろいろプラスになることを体験できましたね。

交流する意義

ーーその参考になったということ、具体的にはどんなことですか?オケのまとめかたとかですか?

久保田:うん、木下先生がオケに対してお話しになることは、オケの側にいるとよくわかるんですが、すごくメンバーから信頼され尊敬されている、そういうことが伝わるんですね。そこはうらやましいんですが。
木下:そこはいっしょですよ(笑)。
久保田:(笑)。ただ、自分の練習を振り返ってみると、僕の場合は、たとえば、「大きく」「小さく」。「長く」「短く」。「濃く」「薄く」。これらの組み合わせで音楽はできているわけだから、それしか言わない。「ここはたとえば、なになにのような〜〜〜」みたいなことはあまり言わないんです。言ってもそれをどういう風にしていいか、具体的にどうするかはすぐにはわからないと思うんですよ。プロとして勉強もしてきた人だったら「ここは、もう宇宙的な広がりをもって弾いてください」と言われれば、そういう音を出すかもしれないけど、アマチュアでそんなこと言われたらどうしていいかわからない。だからそこは「こう弾いて」「ああ弾いて」と、技術的な言い方で伝えるんですね。数字とか技術とか。それを使って音楽を表現しているんです。より具体的に。それでその音を聴いて「ああ、こういう音楽を要求しているんだ」ということを理解してもらう。そういうふうにやっていますね。抽象的な言い方、伝え方をすることもありますけどね。

 だから無味乾燥っていう印象を持たれることもあるかもしれませんが、僕はそのほうが親切だと思っているんですよ。
木下:いや、だからそれぞれ、ですよね。わたしなんか、「まあ、1回行きまひょかぁ〜」っていうやりかたですね。僕は、音楽というのは具体的じゃないものを具体化する行為。そう思っていますから。そのためにどれだけのことをするのか? いい意味での曖昧さ、丁寧さ、ここまではせんでいいだろう?っていうくらいのしつこさもあっていいと思うし。そんなふうに考えてますね。でもそこまでのことはできませんけどね。
久保田:そういう木下先生の考え方を含め、今回、僕もたくさん刺激を受けましたね。「あ、そういうやりかたがあるんだ!」っていうことがたくさんありましたね。

 教える立場にあるお二人が、ともにまだまだ勉強になる、と刺激し合う関係。メンバー全員がそれぞれに同様の体験をしたに違いない。思えば久保田氏は、かつてインタビューに応えて、学生時代、自身の明治大学のオケと慶応大学のオケのマンドリン合同演奏会を企画した実績を持つ。数十年を経て、再びこうした企画を実現したバイタリティ。ますます旺盛に見える。
 演奏曲目は定番から挑戦的な作品まで並び、それぞれの個性を順に楽しませた。最後はステージいっぱいに両オケのメンバー全員が配置。東西の弦が溶け合って鳴らすマンドリン音楽は、会場いっぱいの客席を包んだ。
 マンドリンオケの音楽は、弦主体のフィルハーモニーオーケストラ以上に、もっと身近に聴かれるようになってほしい。
(おしまい)

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▲NACD-2115/6 「ドイツ音楽特集」 2006年2月録音〔2枚組CD〕
* 歌劇「リエンツィ」序曲  /R.ワーグナー
* マンドラとツプフオーケストラの為の協奏曲ロ調 /G.ブラウン (マンドラ独奏:佐久間絵理)ほか


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