(2012年11月25日東京・ハクジュホール 撮影:かえるカメラ/文:江部一孝)
クラシック・ギタリスト、岩永善信2012年の活動が、11月25日の東京渋谷・ハクジュホール公演で区切りをつけた。恒例となった少し早めの年末公演に大勢のファンが集った。
岩永ファンは全国に幅広い。各地からの要望にほぼ全て応える形で年間スケジュールが組まれる。けっしてアルバムを発表せず、「その場の同じ空間」の中で、聴き手とともに音楽を共有することこそ「音楽」であるとする信念は、今も変わらない。したがって、彼の音楽的な眼差しが、“今、どこを向いているのか?”は、コンサート会場に足を運ばない限りなかなかわからない。
基本としているのはバロックと近世のロマン派。現代作曲家の作品が加わることもある。言ってみれば「ギターっぽくない志向」だ。そんな、一見つかみ所がなさそうな、年々刻々変わるプログラムにあって、しかし、その時そのとき、彼のギターから溢れ出る色彩は、万華鏡のような彩りであったり、いぶし銀の光沢であったり。そしてときに光速を思わせるスピード感を伴うきらめきであったり・・・。すべては、一瞬の輝きの中に余韻を残して奏でられる音楽。記憶の中にだけ、鮮やかに残る。岩永音楽の醍醐味が、そこにある。
今回はダウランド、バッハ、そしてロマン派からパガニーニ、シューベルトが選ばれ、ハイライトにファリャをラインナップした。
氏のプログラムは、常に自身の手による編曲作品で構成される。前半がダウランドからパガニーニまで。後半がシューベルトとファリャ。前半はギターという楽器にとっては馴染みのある作曲家、作品群なのだが、ふだん耳にするダウランドやバッハではない。10弦ギターだから? このことも大きい要因だ。しっかりとした基音を感じさせる低音の響きは、音楽の印象を大きく変える。冒頭のダウランドで、一気に会場は中世へ。
バッハは、私自身は兼ねてから10弦ギターでなければバッハにならない、と思っている。6弦ギターの軽いサウンドで、バッハを感じろというのは無理がある。そういう演奏にしか出逢えなかった不運もあるかもしれないが。ともかく岩永さんのバッハを聴くと安心する。管弦楽曲を書き、受難曲を書いたバッハの魂は、パルティータにあっては、こういう音楽であることを教えてくれる演奏であったと思う。
[flagallery gid=29 w=360 h=500 skin=slider align=center name=Gallery] パガニーニ、そしてシューベルトなど19世紀ロマン派の音楽は、かねてより岩永さんの大好物である、と以前インタビューで伺った。どの作曲家であれ、ロマン派的な調べと響きは、とくにギターに合う、と確信しているのだと思う。ただし、ギターのための編曲、作品は極めて少ない。ここを丹念に開拓して、ロマン派音楽とギターの相性を、さまざまに聴かせてくれる。岩永さんのリサイタルの大きな魅力だ。
そして今回の目玉はファリャ。このスペイン印象派とも言える作曲家の代表作を全曲ギターで弾いてしまった。
いや、聴かせていただく前、じつは編曲の心配などしていない。演奏技術の心配もしていない。しかし10弦とはいえギター1本で、ドビュッシー、ラヴェルとも比肩されるファリャの色彩は出るのか? 不安というか心配というか。楽しみなドキドキ感。思うのは、この一点であった。
アンダルシアの風が吹き抜ける、常に動乱の渦中にあった街・カディスに生まれ、アルゼンチンに没したこの作曲家は、ラヴェル、ドビュッシーとも実際に親しく交流を持ち、フランコ政権から逃れてアルゼンチンに渡った。この間にフラメンコにも精通し、フラメンコ/クラシック・ギター、印象派の代表ともいえる作曲家なのである。が、その作品の多くは、オーケストラ作品として認識されている。実際、レコードで残されているのもそういう作品が多い。ことにバレエ組曲『恋は魔術師』は、「火祭りの踊り」を持ち出すまでもなく、管弦楽曲だ。
かつてグリーク、バルトーク、アルベニス・・・とロマン派〜近代のオーケストラサウンドを、たった1本のギターで聴かせてくれたこのギタリストの実績を考えれば、まあ不安というより、期待感のはずなのだが、こればかりは、裏切られたらどうしよう? というスリルも、正直言えば少し、あった。
が、案じたことをすぐに後悔した。岩永さん、ゴメン。全曲はどんどん進み、よどみなく演奏され、一音も逃すまいと耳をそばだてる我が身を置いてけぼりにして、あっという間に終曲へ。まさに小さなオーケストラ! イメージはフルオーケストラ!!
岩永さんのギター音楽を、会場でより楽しむには、少しコツがあると思う。ポイントは原曲をよく知っていること。なにも楽典的に理解しなくてもいい。聴き馴染んでから公演に臨むといいと思う。私にはアレンジ的な細かなことを指摘できるほどの知識も耳もない。しかし、管や打楽器を含むオケの色彩を表現してしまうギターという楽器は、その可能性をまだまだ発掘されていない楽器だ、と確信させる。その可能性はギター音楽にとってバラ色であり、その広大さは、まだまだ開拓途中にあるようなのだ。そんな深淵を覗いた気がした。
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※編集部注:ナディア・ブーランジェ女史とのエピソードは、彼女に直接教わった数少ない日本人音楽家による、端的でとても重要な証言だと思う。
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【関連サイト】
クラシックギタリスト岩永善信公式サイト