マンドリンで未知のワンダーランドを創りだす演奏家と作曲家
柴田高明、小林由直両氏へのインタビューを紹介する。小林さんのコメントの中に出てくる桑原康雄さんと小林さんとの接点に関するエピソードは、はからずも日本のマンドリンを継承し創出してきた一人 と現役の、それもマンドリンに軸足を置いている作曲家が太い線でつながっていたことの証言だ。しかもともに国際的な評価を得ており、小林さんは今なお新作を精力的に生み出し続けている。この二人の作品を並べて演奏する柴田高明。彼らが見つめる地平は日本を起点にするマンドリンの新しい世界のひとつであることは間違いない。
その柴田さんはあくまでクラシック音楽の演奏家として、楽器としてのマンドリンとマンドリンによる音楽、マンドリンのための音楽を紹介していく スタンスを貫いている。しかし聞き手は、すくなくとも私はそこに音楽のエンターテインメントも聞く。思いがけなくステージで遭遇するこの魅惑的な音楽世界 は、マンドリンによる前人未到のワンダーランドでもある。
(構成:江部一孝)
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撮影:ebekaz/上の写真が見えない場合はここをクリックしてください。
柴田高明さんに聞く
2012年版クロニクルの地平線
――今回のプログラムは、クロニクルの延長上にあるプログラムだな、とかんじたのですが?
柴田:そうですね。マンドリンのために書かれた作品で各時代のものを紹介していきたいという意図は根底にあります。というのはマンドリンの作品は日本ではあまり広まっていないので、独奏楽器のひとつとして広まっていたマンドリンの世界をちゃんと日本に紹介していきたいと強く思います。
――「シャコンヌ」という作品はギター演奏として、またチェロ作品としても愛着を持っている人が多いと思うので、演奏者として、難しい面がありませんでしたか?
柴田:まず、人気があるから、という選択ではないです。“マンドリンのオリジナル”を掘り起こし広めていきたいという意図で私は演奏活動を行っているので、その中では少し異質に見えるかもしれないですけれど。しかし、私はオリジナルに固執しているわけでもないんです。
――というと?
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柴田:マンドリンの良さを表現する方法は他にももちろんあって、その一つが今回のシャコンヌの演奏。もちろん、オリジナル作品がマンドリンの良さを表現する最も基本的な方法であることは間違いないですけどね。ただ、「シャコンヌ」は変わった曲だと思うのです。どんな楽器でやってもその楽器のオリジナルのように聴こえてしまう。そういう作品をマンドリンでやることで、マンドリンでも同じようにクラシックの楽器としての能力を持っているのだというのを聴いていただきたいと思いました。
――レオーネはCD「クロニクル」でもとりあげていらした作曲家ですよね?
柴田:そうです。18世紀のマンドリン音楽を書いた作曲家の中では一番重要だと思っています。教則本の内容自体もそうだし、その教則本に載ってるバリエーション、マンドリン二重奏、そして計12曲あるソナタ。楽器の扱い方、曲の内容からも、いちばん重要だと思います。
――楽譜は現在出版されているんですか?
柴田:ふつうに手に入ります。たとえば今日やったソナタはドイツでも出版されているし、カナダでも出版されています。ドイツでは通奏低音としてギターを使用しています。カナダの楽譜は割と最近出版されたんですが、そこでは通奏低音ではなくて「低音」としていますね。
このレオーネの曲は諸説あって、通奏低音の為の曲なのか、又はチェロなのか、とった議論がなされているんです。そういった理由から、今回チェロと演奏しました。
――チェロか、ヴィオラ・ダ・ガンバかというあたりですか?
柴田:そうですね。
――2番目に演奏された「フルートとマンドリンの為の二重奏曲ハ長調」の作曲家ジュリアーニはマウロ・ジュリアーニじゃなくて、、、
柴田:ジョバンニ・フランチェスコ・ジュリアーニ。マンドリニストです。
ーーこの方はマンドリン界でわりと知名度があるのですか?
柴田:いえ、日本ではまったくありませんが、弦楽とのカルテットなどがウィーンで出版されていて、CDもあります。レオーネにしても現在はまったく無名に近い状態でしょうね。日本でマンドリン音楽が語られるときには、いきなり 1890年頃からになるんです。それ以前というのはほとんど語られない。単発でヴィヴァルディとかベートーベンとかいう話はでてきますが。
――そういうことなんですね。
柴田:それ以外はほとんど見向かれていない状態です。
――柴田さんはご自身の役割としてマンドリンが語られ始める20世紀前後は飛ばして、、
柴田:飛ばすというか省略する意図はないですよ。今回のプログラムでは飛ばしましたけれど。ただそれ以外の時代が本当に欠けているので、それをまずもっと強く紹介したいと思っています。
――桑原さんの作品は私がマンドリンを覗いて合奏の世界がまだよくわからない時期でさえ、すぐに耳に入ってきた作曲家の一人でした。イメージの濃密な作品ですごいなと思いました。
柴田:桑原さんの作品は楽器の扱い方からしてもすごく斬新だし、曲の良さもあるので、現代マンドリニストの欠かせないレパートリーだと思います。必ず勉強すべきだと、そういう気持ちから、僕は毎回桑原さんの曲をやっています。やっておきたい。
――ああいう作品は馴染みのない人は未だにいるかな、という気もするのですが。
柴田:もちろんそうでしょうね。
――ただ小林先生の曲にしてもそうなんだけど、現代曲というのは、例えばテレビドラマの中や映画でじつはよく耳にしていますよね。NHKの大河ドラマなどは半世紀にわたって日本の現代作曲家に委嘱しているし。だからお茶の間にそういう音が常に聴こえている。そういう馴染み方がじつはあるんですよね。そのうえ、小林さんの作品は、バロックから現代までの歴史の記憶のようなものが散りばめられているように聴かせていただきました。まさにそれはこのコンサートにぴったりなんだなと思いました。特にそのような話はされたのですか?
柴田:曲の内容に関しては何も話ていないんですよ。編成のこと、曲の長さ~尺は希望を伝えました。それとプログラムの最後に持ってきたいということと。
――これは個人的な感想だけど、3楽章の最後は案外もっと速いアレグロがコンブリオになって3パートで「わーーっ、じゃん!」と終わるのかな、と聴いていて思っていたのですが、それが肩透かしされたような美しいサウンドによる終止でした。なにかふんわり着地したというか。
柴田:そうですね、メロディーだけで聴かせるわけではなく、音の構成や奏法などで、難解そうに聴こえる面もありますが、響きの美しさがそこかしこにしかけられていましたね。それを、楽器の演奏方法、発音方法が異なる楽器どおしで合わせる難しさはありました。単純に音量の違いとか、音の立ち上がりが異なりますから。ベートーベンやフンメルにしても、マンドリンの「早くて明快な点の音」を意識して楽譜を書いているわけですからね。そのへんは共演者も私も、お互い意識した点でした。
――桑原さんの作品との対比も面白く感じました。桑原さんの作品は映像的、小林さんは抽象的というか音そのものの躍動が立体的に見えるような・・・。
柴田:まあ、それは、人それぞれの感じ方なのでしょうけれど、ただ、小林先生の作品の方が、自己の内的表現としての性格が強いように思います。桑原先生は、もっと外に向かって自分を出している作品だと思います。だから今日の作品にしても、すごく自己表現が強いです。
――演奏者の場合、楽器を介して読み取るわけじゃないですか、読んでいく中でそういったことを感じるということですか?
柴田:そうですね。楽譜を通じて音楽そのものを感じ取る、その受け取り方に演奏者の個性がでてくるのでしょうね。
――フルート、チェロとのアンサンブルとして、音量的にはセーブしてもらっているという印象はなかったのですが?
柴田:いえ、ある程度してもらっていますよ。
――でも、PAを使わずにあれだけバランス良くできる。もっとこういう曲聴きたいですね。
柴田:この編成でもっと曲があってもいいですよね。
まずフルートとマンドリンの二重奏は古典でまず存在している。またはフルートとマンドリン2台。そのような編成は存在していたんです。現代でもフルートとマンドリンはそんなに数は多くないけれどいくつかあります。フルート、マンドリン、ギターというのも何曲かあるんですよ。それを聴いたときに、やっぱり低音が足りないんですよ。伸びないしね。高音だけが伸びているので、ちょっと物足りなさがあるんです。そこにチェロが入ったら絶対かっこいいと思って、この編成でと考えました。
もちろんプログラミングを考える中で、古典に二重奏の作品が存在しているというのも紹介できるな、と。あとは、僕はクラシック奏者としてマンドリンを進めていきたいのでクラシック楽器としての存在をしっかりさせていきたいですね。
(終わり)
小林由直さんに聞く
今公演の色彩、そして価値をもたらした作品「フルートとマンドリンとチェロの為のソナタ」の作曲者、小林由直さんに、会場でコメントをいただいた。この作品は音が跳躍したり変則奏法が部分的に飛び出したりしながら楽器どおし対話しているような面白さと“現代音楽”ならではの間合いや余白が素晴らしい快感であった。その作品のところどころには「おや?ドビュッシー?」「あれ?サティ?」など、古典の枠組みを感じさせるところもあり、そのへんもたいへん興味深い ところだった。
(Photo:Y.Kobayashi/at Kyoto)
Yoshinao Kobayashi Homepage: http://www016.upp.so-net.ne.jp/yoshinao/
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楽器との対話を音に
――作品について教えてください。どのくらいの時間で作曲されたんですか?
小林:昨年(2011年)6月に、柴田くんから「2012年に越智さんの追悼公演が予定されている。そのとき、自分のほかにフルートとチェロのソリストとのステージを予定したい」ということで、急遽作品の依頼を受けました。この編成でやってみたいと前々から話していたのですが、漠然としたイメージしかなく何の準備もしていませんでした。手がけていた別の作曲が終わった夏の終わり頃からアイデアを考え始め、11月の始めにかけて作りました。どんな作品にしてほしいかという打ち合わせは、特にありませんでした。そこは、「阿吽(あうん)の呼吸」ということで(笑)。
――3パートを比較するとどうしてもフルートが主役的な音色を持っていると思うんですが、各パートの対比が等分に鮮やかでとてもおもしろく聴かせていただきました。
小林:ありがとうございます。オーケストラ楽器の配列に従い、いちばん上に木管楽器のフルート、次に弦楽器としてのマンドリン、下がチェロとしました。チェロは、低く太い音ですが、高い音でも緊張感を持って美しく歌う事ができます。フルートは明らかに上のメロディーをとることが多い楽器なのですが、低音は太くゆったりとした音色になります。マンドリンの音色は、フルートとどちらが高いかというと、なかなか難しい。マンドリンの音色には金属的な響きが含まれており、立ち上がりも鋭いですね。マンドリンのほうが高く感じることがあります。そういう特徴があるので、真ん中のポジションではあるけど、時には跳躍させてフルートを飛び越えさせたりしました。それぞれの楽器の色々な音域での特徴を意識して作曲しました。
マンドリンをクラシック音楽の人が評価するとき、持続音の模倣として用いられるトレモロ奏法に関して抵抗がある人もいます。ピッキングしか使わない作曲家もいる。しかし、同一音の震えというトレモロ本来の意味をきちんと理解した、いわゆる「質の良い」トレモロは、逆にマンドリンならではの“武器”だろうと思うんです。そういうところは活かしたいと考えていました。
――こういう作品はどのように創作していくんですか?
小林:作曲家によりいろいろでしょうけど、僕の場合はいきなり特殊な事を考えるわけではありません。今まで色々な時代の音楽を聴いてきたし、大好きな曲もたくさんあります。その延長で現代を生かされて作曲しているわけですから。今まで自分が知らず知らずのうちに取り込んできた要素が新古典的な形で顔を出すことは、自然にありますね。
――今回桑原さんの作品と小林さんの作品を並べて聴かせていただいて、桑原さんの作品は具体的な映像を連想しやすい気がする。一方、小林さんの作品は、音そのものが躍動しているように聴こえる。こうした違いはなんでしょう? 個人的な感覚だけの話でしょうか?
小林:桑原作品は、早くにヨーロッパの風土に受け入れられましたね。ご自身も卓越したマンドリン奏者であり、自分のイメージをマンドリンと言う楽器を使って表現する事に長けていた。マンドリンを使って音を取っていたことも多かったのではないかと思います。ヨーロッパの人たちは、その卓越した技法と音楽性との融合に瞠目したのだと思います。その点、自分は殆どマンドリンが弾けない。ピアノで音を取りながら、心の中で鳴る楽器の音と対話しながら書いていきます。そうした違いが、出てくる音楽にもしかして影響しているのかもしれません。
――小林先生は2005年神戸国際音楽祭のワークショップで、「桑原康雄作曲作品の研究」を発表されましたよね? 直接の交流もあったんですか?
小林:僕は、桑原先生に背中を押していただいたから今があるんです。桑原先生と初めてお会いしたのは、2000年3月。アルスノヴァ マンドリンオーケストラの「3人の作曲家達」という演奏会でした。その後すぐ、神戸国際音楽祭2000を聴きに行って、世界中から集まった演奏家達のレベルの高い演奏に衝撃を受けました。その際、先生から「室内楽を書くように」と薦められたんです。「室内楽は優れた演奏家を数人揃えたら、作曲家の思い描く音楽の実演がすぐに叶う。だからマンドリンの室内楽を書け」 と。そこから積極的に室内楽の作曲が始まりました。先生にはそのあとも、ずっと目をかけていただきました。2003年に桑原先生が亡くなる前、僕は(医師として)先生の治療についてある相談を受けていた時期があります。だから、今回演奏された「無言の扉」の奥にある作曲家の心情は、察するに余りあるものがあります。
(終わり)