ギターの時間|gtnjkn

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マンドリンインタビュー

望月 豪に聞く2011年からの10年

 2010年、充実した音楽活動を披露してくれた望月豪さんの2011年が、始まっている。2010年までの活動は、話を聞いてみると、すべてが計画的、ということではなく、さまざまなつながりがつながりを呼び込み、縁ができ、活動の輪が広がって行ったのだという。強運? たしかにそれもあるだろう。でも小さなきかっけを実らせるために日々続けてきた努力が見逃せない。仕事を別に持ちながら、マンドリンというクラシックの器楽演奏家、 音楽家としての顔をハッキリ作り出し始めている彼は、しかし、さらにマイペースで歩き続ける。
彼の2010年を振り返る。そして次のステップは?(聞き手:江部一孝)

ーーこれまでの活動や目標について聴かせてください。とくに2010年は大きな賞をものにした直後の年で、イベントも続きましたね。
望月:もともとマンドリンの活動をする時に根本としてあるものは、「マンドリンの音楽をもっと広くいろんな人に聴いてもらいたい」というものです。その為には一般的なエンターテインメント、ポピュラー音楽としてマンドリンを大衆層に広めていく方法もありますけれど、僕が目指しているのは実際にクラシック音楽が好きな人たち、それからクラシックの音楽家に「クラシック音楽としてのマンドリン」を認知してほしいというものです。

ーーその目標に向けては、長期的な計画を立てているんですか?
望月望月:「10年後こうなっていたい」ということはいつも考えています。10年後にクラシックのコンサートホールに当たり前のようにマンドリンが登場している、そういうイメージはぼんやりとですが出来始めています。その為には多くの音楽関係者にマンドリンを知ってもらう必要が必ずあるので、たとえば今の若手の才能溢れる作曲家の方々に曲を委嘱して、マンドリンを知ってもらって、マンドリン演奏会にだけでなく、彼らの他の作品の中にも度々マンドリンを取り上げてもらいたい、と思っています。もちろん、演奏家の方達にももっとマンドリンを知ってもらいたい、と思っています。個人的な展望でこうありたい、というよりは、マンドリン音楽発展の中での一ステップを作りたいという気持ちが強いです。


ーー2010年はどんな想いで活動されていたのですか?具体的に2010年のことは、いつ頃からどんなふうに計画をたてていたんでしょうか?
http://gj.294bros.com/interview/Mochizuki/pict9.png
望月:自分で自分の過去を見ていくと、2009年10月の大阪国際マンドリンフェスティバル&コンクールが一つの区切りだったと思います。それまでは常にマンドリンを弾き続ける傍らにコンクールというものがあったので、大阪国際で1位をいただけた時に、いよいよ100パーセント自分の好きなことをしよう、と思いました。例えば2010年2月のリサイタル、そのことを考え始めたのは2009年12月からで、かなり遅かったんですよ。プログラムは二転三転して、最終版はかなり直前にやっと決まりました。自分の過去と未来を繋げる、というつもりで、何度も弾いていたレパートリーと、新たな試みを半々くらいの割合でプログラムに入れました。ただ、リサイタル全体のカラーや方向性は昔とそんなに変わっていないのかもしれません。

ーーそれまでは、その10月のコンクールのことだけに集中していたんですね?
望月:そうです。その次のことは何も考えていなかったと思います。

ーー2月のコンサートの後、2009年リベルテの演奏会を収録したCD「マ・メール・ロワ」を発表されましたが、これは1作目の「四季」と比べて随分とカラーを変えているように感じました。どのようなコンセプトで作られたのですか?
望月:そうですね。「四季」の頃の方がかなり若いですよね(笑)。聴き比べていただければこの3年間でリベルテがどれだけ成長したか分かっていただけると思います。今回のCDはタイトルにある通り「マ・メール・ロワ」をメインに据えて、全体的にフランス印象派色で彩っています。唯一の日本人、現代作曲家の鷹羽弘晃さんの曲(「水上の月」のマンドリンオーケストラ版)もフランスにいながら書いてもらっていますし、楽曲自体もフランス的な彩りに溢れてます。マンドリンオケの薄く重なったような響きはフランス音楽にとても合うと思ってます。

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