2015年11月に行われた岩永善信ギター・リサイタルのプログラムは、これまでの公演に比べると、音楽の深みを一段と掘り下げた印象を強烈に感じた。
前半はD.スカルラッティとJ.S.バッハ、さらにはJ.アルカスというクラシック・ギター・コンサートとしては、渋めの王道を行く作曲者名が並んだ。これは、どちらかといえばこれまでの「路線」だと思う。
後半最初の「ファンダンゴ」(グラナドス)、そして「早春賦」(中田章・武満徹編曲)、「ウェインスコット・ポンド」(武満徹〈森の中で〉より)、「星の世界」(コンヴァース・武満徹編曲)も、作者、編曲者だけを見ればクラシック・ギターならではのものといえる。しかし、その選曲だ。見事にギター・ファンの人気とは無縁の、独自の美意識と意志を猛烈に感じずにはいられなかった。
クラシック・ギター・ファンとギター演奏家による《ギター界》というものがあるとすれば、その世界とは全く無縁。ギターをして音楽の高みを目指そうとする意識なしに、このような選曲はあり得ない、と思う。
とどめがハイライトに持ってきたゾルタン・コダーイ。「7つの小品より レントOp.11-1」(〈コーネリア・フォスの絵画から〉というサブタイトルがつく)。そしてもう1曲「無伴奏チェロソナタOp.8より3楽章(アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ)」。
コダーイの作品は児童合唱のための作品などが多く、管弦楽曲となると近年は、演奏機会に接することも多いとは言えないと思う。 1882年生まれで1967年に没するまで、ほぼ母国ハンガリーに生きた。ということは両大戦を経験し、その戦渦を超えて「ミサ・ブレヴィス」やオペラ「ハーリ・ヤーノシュ」などの傑作を書き続けた。さらには生涯を通じて「ハンガリーの村々を回り、民謡を収集・録音する作業を続け、民族曲における多数の論文を執筆、また民謡に基づく合唱を作曲」したという。幸いにもこれらの活動は、作品ともども生前から評価を受け、ヨーロッパ中で受け入れられたし、トスカニーニとの交流もあったようでアメリカでも評価された。同じハンガリー生まれのバルトークは「僚友」であっただけありバルトークと並ぶ素晴らしい作曲家だったのだ。
そのコダーイの今回の作品は、前者がピアノ曲(1918)、後者は無伴奏チェロのための作品(1915)。第一次世界大戦の最中に完成したわけだ。大戦中も彼自身はブダペスト音楽院教授の地位にあり、民謡採集も続けていたらしいので、創作の時間はあったのだろうが、欧州を覆っていた空気とは無縁ではなかったと思う。レントは、不穏な響きの中に一筋の光が射し、やがて暗示するような和声で展開していく。チェロ・ソナタからは3楽章。この1、2楽章は深い悲しみを歌うようなアレグロの1楽章、静かにさまようようなモルト2楽章ときて、最後に、ゴールに向かう歓喜のようなヴィヴァーチェの3楽章が登場する。この3楽章は、ボウイングやさまざまな奏法を駆使するチェロの音符が岩永さんの手にかかりギターに置き変わると、鮮やかな管弦楽のようにさまざまな色彩と表情となって響いた。そしてそのまま音符は怒涛の昂まりの頂点で終わった。
プログラムは、原点に向かおうとする意識がスカルラッティ、バッハであり、アルカス、グラナドス。それとともに、いま社会に対する演奏者・音楽家としての「意識」が、コダーイを選曲させたのではないか。作品の素晴らしさ、演奏の素晴らしさとともに、そんなふうに聞いたのはわたしだけだろうか? ことにコダーイはそれほど難解な作品ではなく、むしろ日本の民謡、ことに追分や馬追い歌か?と思わせる節(ふし)さえあって親近感を覚えた。音楽の面白さ、コダーイというを作曲家への興味をかき立てた。
こんなことをレポートにすると、考えすぎ!と岩永さんに笑われそうだ。でも、音楽家の感性が、無意識にかつ偶然にコダーイの、それも戦火の中から生まれた音楽を選ばせたとしたら? 筆者はその偶然を、しっかり受け止めたい。
なお、2016年公演は、海外は中国・南京、カナダ(バンクーバー)を予定。国内は11月20日(日)名古屋市宗次ホール、同月26日(土)東京・白寿ホールが決まっている。その他のスケジュールについては岩永善信公式ホームページをどうぞ。〈江部一孝/撮影:かえるカメラ〉
【岩永善信公式ホームページ】
http://www.yoshinobu-iwanaga.jp/