ギターの時間、2010年3月2日号
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SMD

(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)

マンドリンを続けたい一心で、歌う

ーー先生は、卒業とほとんど同時にもっとマンドリンを研究したい、とイタリアに行かれたんですね?
岡村:そうです。マンドリン音楽の歴史をもっと研究したいっていうのがいちばんの動機です。最初はシエナに半年ほどいて、イタリア語を勉強しました。で、外国は半年以上滞在するにはビザが必要になりますね? で、どこかの大学または会社に所属していたら、ビザがとれる。私はそのとき、どちらにも所属していなかった。しかし、そもそも私はイタリアへマンドリン研究のために行ったのだから、音楽でなんとかならないか、と考えました。するとフィレンツェに国立の音楽学校があったんですね。フィレンツェはシエナから車で2時間くらいです。「で、こういう理由で私はイタリアにいる。もっと勉強したい。音楽史を研究させてほしい」と大学の事務所で聞いてみたんです。そしたら「そういうセクションは、うちにはない。しかし1週間後に声楽科の試験がある」と言うんです。
 もう私はわらをつかむ気持ちでその試験を受けたんです。

ーー歌ですよね?
岡村:そうです。で、試験会場にはマンドリン関連の楽譜をたくさん持って行きました。フィレンツェというのはそれほど大きな町ではないので受験生も2〜30人くらいかな、と思ってたんですが、90人ほど集まっていました。僕以外の受験生はみなプッチーニとかヴェルディとかの楽譜を持ってきている。で、順番がきて試験官が「君は何を歌うのか?」と聞いてきました。「私はマンドリン音楽の研究にきている。だから声楽の楽譜はとくにない」と言ったら、怒られましてね。声楽科の先生とピアノの先生と並んで怒ってる。
ーーそれはふつう怒りますよ(笑)。
岡村:「君は何のためにきたのだ?」というから、僕が知っていて歌える日本の曲は「平城山」(-ならやま-と読む:作曲:平井 康三郎/歌人・北見志保子の書いた短歌に、平井康三郎が曲を付けた。1935年(S.10)発表)だったから、これを歌うことにしたんです。楽譜はなかったから「4分の4拍子、イ短調くらいで弾いてくれ」と言って。しかも歌詞は一番しか覚えていなかったけど、どうせ日本語はわかるまいと思って、日本語で一番を繰り返して歌ったんです。
 試験が終わって発表は夕方5時くらいでしたか。受験生90人ですからね。しかも彼らは各国から声楽を勉強に来ている。僕は元はマンドリンですからね。
ーードキドキしますね。
岡村:張り出されたのは16人の名前でね。そこに「okamura」も入ってたわけです。
ーーうわ、やりましたね!!
岡村:イタリアの国立音楽院は5年制なんです。僕はもともとはビザのために入学したわけですが、一生懸命勉強しましたよ。
ーーたいへんだったでしょうね。イタリア語で勉強するんですよね?
岡村:もちろんです。ピアノもイタリア文学も歴史も音楽史も。そしてもちろん、声楽科も。ほんとうにたいへんでした。でも5年後、卒業したのは16人の中で僕一人でした。だから首席卒業です。
ーーすごい。
岡村:いちばんきつかったのはイタリア文学。まず本を読む。翌週その内容についてディスカッションするんです。イタリア語でです。
ーー日本語だって難しそうなのに。
岡村:歴史、音楽史は好きだったしいい点数をもらっていましたけどね。
ーーでも、それでイタリア語をものにされたんですね。しかし、生活がまた学生の身分になると、滞在費用もままになりませんよね?
岡村:そうなんです。そこで一計を案じてとった作戦が楽譜を使った商売だったんです。
ーーというと?
岡村:僕はイタリアに着いて、最初に集めたのが「イル・プレットロ」誌です。1906年〜1943年までの37年間毎月発行されたもので、ここには楽譜がいつも掲載されていた。ぼくはこれを見たくてイタリアに行ったんです。その楽譜を研究したくて。で、最初に貯めて持っていたお金が底をついたとき、ひらめいた。この楽譜を日本に紹介してその手数料でなんとかならないか、と。向こうではアルバイトなんてのもほとんどなかったですから。で、各方面確認して連絡し、買い手の方も日本で確保してもらい、そのお金で10年間食いつなぐことができたというわけなんです。イル・プレットロが私の歴史のすべての原点ですわ。

※Il Plettro:1906年 アレッサンドロ・ヴィツアーリAlessandro Vizzari (1873-1945)の手によりミラノで創刊したマンドリン専門誌。1943年12月の最終刊まで38年間発行された。マンドリン振興をうたい、作曲コンクールを主催し名曲を世に送り出した。


▲Il Plettroのヘッダー部分

▲後年刊行されたIl PlettroItalianoとは別物

▲ヴィツアーリはIl Plettro創刊する前は、マンドリ雑誌の老舗Il_mandolinistaの編集者を一年務めた


(続きます)

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■同志社大学マンドリンクラブ創部100周年記念現役OB合同演奏会
2010年3月6日 開場12:30 開演13:30
会場:京都コンサートホール大ホール
入場料:1,000円
オープニング
・SMD行進曲 / 菅原明朗
1923年 第1回マンドリン合奏団競演会 優勝作品演奏ステージ
・無言詩 / C.A.ブラッコ
・メリアの平原にて / G.マネンテ
1924年 第2回マンドリン合奏団競演会 優勝作品演奏ステージ
・ソレントの女 / L.ファンタウッツィ
・ギリシャ風主題に依れる序楽 / N.ラウダス

OBステージ
・歌劇「南の港にて」より第一幕への前奏曲 / N.スピネルリ(松本譲編曲)
・秋の前奏曲 / 西田直道
・夏の庭 / P.シルヴェストリ
・組曲「吟遊詩人」 / A.アマデイ(中野二郎編曲)

現役・OB合同ステージ
・Musica per il Centenario(仮題・委嘱初演) / C.マンドニコ
・グラウコの悲しみ / A.マッツオーラ
・独創的序曲「アルフレッド・カッペルリーニ」 / O.カルリーニ(石村隆行編曲)





▲同志社大学マンドリンクラブ100年史/メリアの平原にて(マネンテ)

▲同志社大学マンドリンクラブプログラムで眺める100年史/怯える小鳥(フィリッパ)