ギターの時間、2010年3月1日号
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SMD

(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)

 同志社大学マンドリンクラブには、いつの時代にも、どの世代にも重要な役割を果たしたメンバーが必ず在籍されている。今回の座談会出席者は、それぞれに重要メンバーだった方々である。しかし中でも、岡村光玉(おかむらみつたま)さんは卒業後、特別な人生を歩まれ、クラブに貢献された。
 現在は、岡村式発声研究所を開設。なんらかの理由で声を失ったひとたちに、自身の声楽知識と失語症体験を生かして、声楽レッスンの手法を取り入れ、発声を取り戻す手助けをされている。マンドリンだったはずの方が声楽? 失語症体験? 人一倍大きな情熱をイタリア〜マンドリン〜音楽へ注ぎ生きて来られた岡村さんのマンドリンに対する愛、またクラブに果たした役割を伺いたくて座談会直前に時間をいただいた。ちなみに3月6日の100周年記念京都演奏会では「グラウコの悲しみ」を指揮される。


声を失う

ーー岡村先生はすごい大病をされて、しかし復帰されたと伺いましたが?
岡村:2回やってるんですよ。1回目が50歳のときです。今年62歳ですから今から12年前、脳内出血で倒れましてね。それもウィーンで。当時、向こうで車いす生活になってしまいました。今は健康のために走ってます!
ーーすごいですねっ?
岡村:でも2回目があるんですよ、今から6年前。今度は脳卒中で頭を切ったんです。そのときはドイツ語を忘れる、英語も忘れる。日本語も忘れちゃったんです。
ーー??
岡村:唯一しゃべったのがイタリア語でした。
ーー!!
岡村:病院の先生曰く、「イタリア語の記憶の場所だけが残ったんじゃないか?」と。

岡村先生は、この病気を含むご自身の半生を書き残し出版されている。そこにこの間の経緯や当時の様子も詳しく書かれている。
歌に生き、夢に生き
▲「歌に生き、夢に生き」(四六版160ページ/編集工房レイヴン¥1,000)
とにかく半端じゃないリハビリをやってこられて現在はまったくふつうだから、すごい。先生の人生そのものが行動力と努力に貫かれていて頭が下がる。同時にこの本の文字を追っただけで、元気がもらえるくらいだ。が、ともかくここでは、その半生を駆け足で話していただきつつ、マンドリン〜イタリアに染まったいきさつを続けていただく。



(続きます)

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■同志社大学マンドリンクラブ創部100周年記念現役OB合同演奏会
2010年3月6日 開場12:30 開演13:30
会場:京都コンサートホール大ホール
入場料:1,000円
オープニング
・SMD行進曲 / 菅原明朗
1923年 第1回マンドリン合奏団競演会 優勝作品演奏ステージ
・無言詩 / C.A.ブラッコ
・メリアの平原にて / G.マネンテ
1924年 第2回マンドリン合奏団競演会 優勝作品演奏ステージ
・ソレントの女 / L.ファンタウッツィ
・ギリシャ風主題に依れる序楽 / N.ラウダス

OBステージ
・歌劇「南の港にて」より第一幕への前奏曲 / N.スピネルリ(松本譲編曲)
・秋の前奏曲 / 西田直道
・夏の庭 / P.シルヴェストリ
・組曲「吟遊詩人」 / A.アマデイ(中野二郎編曲)

現役・OB合同ステージ
・Musica per il Centenario(仮題・委嘱初演) / C.マンドニコ
・グラウコの悲しみ / A.マッツオーラ
・独創的序曲「アルフレッド・カッペルリーニ」 / O.カルリーニ(石村隆行編曲)





▲同志社大学マンドリンクラブ100年史/メリアの平原にて(マネンテ)

▲同志社大学マンドリンクラブプログラムで眺める100年史/怯える小鳥(フィリッパ)