(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)
同志社大学マンドリンクラブには、いつの時代にも、どの世代にも重要な役割を果たしたメンバーが必ず在籍されている。今回の座談会出席者は、それぞれに重要メンバーだった方々である。しかし中でも、岡村光玉(おかむらみつたま)さんは卒業後、特別な人生を歩まれ、クラブに貢献された。
現在は、岡村式発声研究所を開設。なんらかの理由で声を失ったひとたちに、自身の声楽知識と失語症体験を生かして、声楽レッスンの手法を取り入れ、発声を取り戻す手助けをされている。マンドリンだったはずの方が声楽? 失語症体験? 人一倍大きな情熱をイタリア〜マンドリン〜音楽へ注ぎ生きて来られた岡村さんのマンドリンに対する愛、またクラブに果たした役割を伺いたくて座談会直前に時間をいただいた。ちなみに3月6日の100周年記念京都演奏会では「グラウコの悲しみ」を指揮される。
声を失う
ーー岡村先生はすごい大病をされて、しかし復帰されたと伺いましたが?
岡村:2回やってるんですよ。1回目が50歳のときです。今年62歳ですから今から12年前、脳内出血で倒れましてね。それもウィーンで。当時、向こうで車いす生活になってしまいました。今は健康のために走ってます!
ーーすごいですねっ?
岡村:でも2回目があるんですよ、今から6年前。今度は脳卒中で頭を切ったんです。そのときはドイツ語を忘れる、英語も忘れる。日本語も忘れちゃったんです。
ーー??
岡村:唯一しゃべったのがイタリア語でした。
ーー!!
岡村:病院の先生曰く、「イタリア語の記憶の場所だけが残ったんじゃないか?」と。
岡村先生は、この病気を含むご自身の半生を書き残し出版されている。そこにこの間の経緯や当時の様子も詳しく書かれている。
▲「歌に生き、夢に生き」(四六版160ページ/編集工房レイヴン¥1,000)
とにかく半端じゃないリハビリをやってこられて現在はまったくふつうだから、すごい。先生の人生そのものが行動力と努力に貫かれていて頭が下がる。同時にこの本の文字を追っただけで、元気がもらえるくらいだ。が、ともかくここでは、その半生を駆け足で話していただきつつ、マンドリン〜イタリアに染まったいきさつを続けていただく。
(続きます)